綺麗な関係とコミュニケーション
最近もやもやするんですが、人とぶつかり合うことが美しいみたいなノリについていけないです。
「クライアントと本音で話せた」とか「喧嘩したけどより絆が深まった」とか。
聞きすぎて「またか」て思ってます。
そういうやりとりが美しく、あるべき姿といわれるのを見ると、じゃあ私そういうの嫌いならダメなんかと決めつけてしまいます。
本音で話せて時にはぶつかり合い、互いの絆がより強固なものになる、て漫画の中だけかと思いました。
そういうの求めてくるの、めちゃめちゃしんどいんですよね。
本音で話すことが必ずしも正しい訳じゃないし、ぶつかり合うことが正義ではないです。
最終手段が喧嘩になってしまう、みたいなのは別にどうでもいいです。
ただ、ぶつかり合うのを防ぐため頭を使って考えて回避策を練るタイプなのですが、そういうのは目に見えないから評価されないんだろうなと感じます。
本音で話せる関係って、そんなに欲しいものなんですかね?
人間誰だって表で見せている部分、見せずにいる部分、見せてみたいけどじっと耐えてやり過ごしている部分などいっぱいあると思うんですよ。
それを無理矢理引っ張り出して「私にだから言えたんだね」みたいな満足感は苦しくなります。
そんなに綺麗な関係になった先に何があるんでしょうか。
本音でぶつかり合える仲間とか、ごくせんじゃないんだから。
はーーーーーーしんど。
あとこれも最近聞き飽きた言葉なんですが、「寄り添う」てやつです。
営業すぐに言いがちで、何回も放ったときから安っぽく聞こえてきます。
コロナで大変だから寄り添う、伴走するとか。一緒に走ってどうするんですかね?
役に立つんかな。
こういう言葉、めっちゃ上から目線でもの言ってる感じがしてキモいですね。
自分たちで立ち上がろうと頑張っている人たちを「微力ではございますがお手伝いさせていただきます」にしろ。
ていうか、他人に寄り添えるパワーと余裕を持ってない奴ほど寄り添う寄り添う言うので安っぽいんですよね。
パフォーマンスでしか見せたことがなさそう(笑)
でもパフォーマンス巧さがないと出世できないのならそれはそれで辛い状況ですね。
話す言葉は真っ直ぐにする、真っ直ぐにしすぎるとすぐ傷付くらしいんで、優しく包み込むように話すようにしてます。
裏ではバリバリに悪口言うし鋭く突き放した言葉が多いんですが、ガス抜きしないと死ぬんですよね。
優しくてきちんと思いやりを持てる人間になりたいので気をつけてはいますが、思っていることをはっきり述べてほぼ悪口言った人が評価されるの、見ると舌打ちしたくなります。
ド偏見ですが、今まで家族が大変な目に遭ったことがなく自分もそれなりに楽しくゆるやかに生きてきてんだろーなと羨ましくなります。
そうやって生きてる人、税金20%に引き上げてほしい。
関係性とコミュニケーション、リスク回避型がどういう人がもっと知らないと追い詰められそうです。